初めてロック・ミュージックに触れた時の感動を忘れてしまっている人はそういないだろうが、その感覚を今も持ち続けているとなると話は変わってくる。好きなアーティストのCDやアナログ盤をプレーヤーにセットし、スピーカーから繰り出されてくる一音一音にときめいたり、指が痛くなるまでギターを離さなかった一途なあの頃。憧れは時として無垢なパワーを与えてくれる。だから僕らは音楽を愛し続けられるのだ。かつて、ジョン・レノンは自身が敬愛するロック・ナンバーをカヴァーという形でアルバムにしているし、ボブ・ディラン然り、エルヴィス・コステロ然り。そんなピュアな衝動――つまり、どこかで自分自身が抱き続けた“音楽への憧れ”というものを形として残したくなるのは、ミュージシャンの業なのかもしれない。そう、誰だって忘れたくないものなのだ。一番最初のときめきや憧れというものは。
稲葉浩志が5年振りにリリースするソロ・アルバム『志庵』を聴いていると、そんな忘れかけたあの頃の気持ちが蘇ってくる。ちなみにアルバム・タイトルはプライベート・スタジオ名からネーミングされたとのこと。そんなエピソードが物語っているように、この『志庵』という作品は、今まで以上に1人の“稲葉浩志”という人間像に迫った作品なのではないかという事だ。筆者がまず一聴して感じたのは、アルバム全体に共通する圧倒的孤独感だった。都市生活者の孤独。言葉にするとありきたりの表現になってしまうが、実際このテーマを真っ正面から切り込んで、尚且つポップ・ミュージックのフォーマットの中で昇華させたアーティストは稲葉浩志以外に存在しない。だからこそ、デモ段階で今回の作品を聴いた時も、その部分がどんなスタイルで今回表現されているのか、まずはそこが一番気になったのだ。例えば、そんな孤独感というものは、「ZERO」等に代表されるように、B'z初期段階からもちろんあったものだが、よりリアルに具象化され、時代性も反映してか、前作アルバム『マグマ』等と聴き比べても胸にズシンと響くヘヴィさがリアルに胸に迫ってくるのだ。それは言葉やメロディという一個一個のパーツの意味自体の問題ではなく、アルバム全体を支配する雰囲気がそうさせている気がしてならなかった。そう、整合性よりも、まずそこに挑んでいこうとする彼自身の姿勢を感じたのだ。
まず曲を聴いて貰うと明かになるのが、B'zという巨大なユニットから大きくかけ離れた“稲葉浩志”という1人の男が奏でる物語だということ。前作『マグマ』でもそのような面は確かに存在していたが、より個人的な視点で綴られていて、独自の世界を作り上げている。
「ちゃんとした形っていうことになると『マグマ』の頃からじゃないかな。あれをやっているのは楽しかったので、やっぱりその頃からじゃないですか」
『マグマ』以降、「遠くまで」というマキシ・シングルを挟んで、コツコツと作品を作り溜めてきた彼。実際、今回のアルバムに収録されている楽曲の中には「遠くまで」を録音していた頃に作った楽曲も数曲含まれている。
「B'zと変えようっていうのは当然思ってないんですけど、普通にやっていればたぶん違うのは分かってるから。聴いてくれた人がそういう風に思うのかなって」
そう。彼自身の言葉にもあるように“あえてB'zと差別化しよう”という思いは全く存在していないし、ソロ作品だからという力みさえも感じられない。あるのは、ただ自らが愛してやまない音楽への熱い想いだ。その想いを形にしようという純粋無垢な姿勢こそが、今回のアルバムの原動力となっていったという事は容易に想像出来る。つまり、あくまでニュートラル。ソロ・アーティストとしての自分を見つめ直し、ひたすら身を削ってといったタイプではなく、自身の内面から滲み出てきたメロディやグルーヴ、そして言葉の数々を書き止めた結果が形となって、今回の作品につながったという言い方の方がより理解しやすいのではないか。どの楽曲も音触りが生々しく感じるのも、そのせいなのかもしれない。
「最初は全然そんな事を考えてなくて。それこそタイトル通りスタジオがありましたという所からスタートしているので、適当に始めていってという所だった。なかなか思うようにいかない所が多かったので、そういう所でちょっと一人で考えるしかないかなって。それはすごく今でも覚えているんですけど」
自宅にスタジオを作った、ということもあくまで自分の楽しみを表現する場所を確保した、というニュアンスが正しいのだろう。そう、子供が砂場で幾つもの砂山を作っては壊し、そんなスクラップ&ビルドを楽しむかのように、レコーディング作業を楽しんだ結果が『志庵』というアルバムなのだ。
「レコーディングの段取りもそうだし、曲が出来て行く過程もそうだし。僕はすごくせっかちだからレコーディングが始まると思い付いたらすぐにやりたくなるじゃないですか。僕はスタジオがあるわりには、自分で全部機材を理解して一人で全部やりますっていうタイプじゃないので、オペレートしてくれる人が必要だったりするんですよ。レギュラーとして関わってくれている人は今回はいなかったので、そういう意味ではなかなか作業が進みにくかった部分はありましたけどね」
制作過程から、B'zのそれとは180度異なる環境の中で、生み出された楽曲に表れているもの、それはこれまで表に出て来る事のなかった、稲葉浩志個人が持つ数々の感情の形である。稲葉浩志ファンなら思わずニヤリとしてしまう、そんな言葉遊びが楽しい「O.NO.RE」、アメリカのインディ・ギターバンドの雰囲気を持ったオルタナ風味のギターが炸裂する「Seno de Revolution」、JAZZYな雰囲気とスウィングするメロディに稲葉浩志の歌が絡み付く、ある意味変則的グルーヴが心地良さを演出した「Touch」、そしてアコースティックな音を基盤に切々と歌われる叙情的なバラッド・ソング「LOVE LETTER」等々、“こういう感じでやろう”とコンセプチュアルに音の方向性を決めて作られたものではなく、その時々の気分が支配した結晶を集めたという事が、今回の作品における一番のポイントだろう。
「なんかね、荒っぽいグルーヴみたいなのがもともと自分にあって。まあ、それは好みの問題だけど。それをやっぱりやりたくなるんでしょうね」と彼自身の言葉にあるように、このポイントこそがB'zとソロ作品を大きく2つに差別化している部分である。素材をブラッシュ・アップする、というよりも、いかにモチーフそのものの感触を再現するか。そこの手法の違いが今作をより輝かせている気がしてならない。
ちなみにレコーディング自体は10曲目に収録されている「炎」からスタートしたとの事だが、実際の話、特に今回はこういう感じというのはその時点では見えていなかったらしい。そんな状況の中で、アルバム全体の雰囲気を掴むきっかけとなり、今作の特徴の1つとして挙げられるのが、レコーディングで稲葉自らがギターを弾いているという事である。
「ギターとかを弾き始めて、1つ大事なものが自分の手が届く所に来たっていう感覚があって。あ、こういうのをやりたいんだっていうのに一瞬気が付いたのは大きい気がしてるんですけど」
あくまで素朴な創造行為への衝動。それは、10代の少年がロック・ミュージックへの幻想を抱きながら、ギターを手にするといった行為とよく似ている気がする。大人になってもそんな気持ちは消え失せることなく何かを作り上げる喜びといったものに、男なら憧れを感じてしまうもの。もともと男にしか分からない世界というものは、絶対にあるはずなのである。趣味的な話になってしまうが、日曜日にお父さんが気まぐれで料理するのもそうだろうし、模型作りでも釣りでもゴルフでも何でもいいのだか、それらは男にとって圧倒的ロマンティズムなのだ。そんなロマンが随所に感じることが出来る作品が、この『志庵』というアルバムなのではないかと僕は考えている。
text by 鈴木 大介(Undown編集長)
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