数多くのヒット曲を生み出し続けている作曲家・編曲家であり、高い技術を持ち合わせるベーシストとして幅広い活躍をしている徳永暁人。様々な楽曲へのコーラス参加でその実力を発揮する大田紳一郎。レーサーとして世界を舞台に活躍する吉本大樹。この3人で結成された新バンドdoa。彼らの最大の特徴は何といっても全員で繰り広げる、美しくも強く迫り来る圧巻のハーモニー。デビュー・シングル「火ノ鳥のように」はそんな魅力を最大限に生かした、グイグイと高揚感を与えてくれるパワフルなロック・ナンバーに仕上がっている。歌詞には、夢を持って都会に出てきたのに、いつの間にか周囲に同化してしまい目標を失ってなんとなく生きてしまっていた主人公が、そんな日常にピリオドを打ち、全て失ってもいいからもう一度自分の夢に向かって飛び出そうとする気持ちが綴られている。ダイレクトな音にこの歌詞が乗せられるとより強く響いてきて、聴いている内に何かをしなければといった焦燥感が湧き上がってくる。
バンドでイニシアチヴを取っている徳永暁人に、彼のこれまで歩んで来た音楽活動やdoa結成のエピソード、そして今後の事について話を聞いた。
●高校時代から堀井勝美さんに作曲を学んでいたそうですが、音楽の道は幼い頃から決めていたのですか?
徳永暁人(以下徳永):中学ぐらいから先輩に影響を受けてバンドはやっていたんですが、もともと僕が音楽を始めたのは受験社会というか、周囲の期待への反発とか、そういうのが元だったんです。中学ぐらいでそういう事に悩んで、高校は進学校に行ったんですけど、どうしてもこのまま敷かれたレールの上を行っても自分が面白くないなって悩んで。それで、自分の好きな音楽の道を選びました。小さい頃からクラシックを習っていたわけではなかったけど、どうせ好きな道へ行くのなら極めてやろうと思って音大を受験しようと決めて、それで堀井先生に習ったりしたんです。
●極めるために音楽大学に行こうと思ったんですね。
徳永:その時はクラシックとか全然分からなかったんですけど、負けず嫌いだし馬鹿にされるのは嫌なので、高校2年ぐらいからバイエルを始めて。当然家にはピアノがなくて、近所の楽器屋でピアノを貸してくれる所があったのでそこで練習をしていました。ショパン程度が普通に弾けないと受験レベルではないので、どうにかそこまで弾けるようにやろうって課題曲だけひたすら練習して(笑)。それで作曲科に受かったんです。
●大学の中でも作曲科というクリエイティヴな科に行く事は決めていたんですか?
徳永:小学校5年ぐらいからシンセサイザーとかプログラミングで曲をずっと作ってたりしたので、作曲科っていうのは最初から頭にありました。
●大学ではクラシックを学んでいたのですか?
徳永:クラシック、ジャズはもちろん民族音楽まで、全部一通りは勉強しました。でもやっぱり根っこがロックなので、戻ってきたって感じですね。
●大学の時からゲーム音楽も作っていたそうですね。
徳永:そうですね。どうせバイトするなら、音楽で食える糸口になるような事を何でもいいからやろうと思って。先輩とか色々な所にまずはデモ・テープを持って行って「何かやらして下さい」って感じで。在学中はそんな事をしながら、バンドもやってました。
●ベースもその頃から弾き始めたんですか?
徳永:弾き始めたのは中学の時だったんですけど、一番決定的だったのは鳴瀬喜博さんに出会って、教えて貰えるようになってからで、それがきっかけで本格的に練習するようになりました。
●色んな事を経験しつつも、やっぱり作曲家という目標が揺らぐ事はなかった?
徳永:やっぱり目標は作曲家。でも、ある日突然「俺、作曲家だ」と言っても誰も見向きしてくれないじゃないですか。潜り込む手段として、自分の使える技術で売り込もうと、ベースも打ち込みもプログラミングも出来るし、歌も歌えますって。そういう事をアピールしている内に、気が付いたら後付けで色んな仕事を今まで経験していた感じです。
●今、作曲家としても活躍している、GIZA studio関連の仕事はどういうきっかけで?
徳永:最初はオーディションでした。大学生の時に、ベーシストとしてものすごくテクニカルな事を3分ぐらいにまとめたデモ・テープを作って、オーディション会場にテープとベースを持っていって、ワーって弾き倒したんです(笑)。それが気に入られて何かやってみようよって話になって、そこで実は作曲家になりたいって話をして、少しずつ広がっていったんです。
●徳永さんっていうと、ZARDや倉木さんの作曲、B'zのアレンジで名前が知られるようになったと思うんですけど、これはどういう経緯で?
徳永:B'zに関しては、松本さんがプロデュースされていた七緒香さんがいて、そのプロジェクトでアレンジャーとして最初に松本さんと知り合って、その流れでB'zのアレンジも試しにやってみてくれないかって事で、気に入って頂いたのが出会いです。作曲に関しては、僕は誰用に作るといった事がなくて、日々どんどん出来ちゃうんです(笑)。とりあえず録っておこうかなって勝手に作ったデモ・テープを、色んな方が聴いてそれで気に入ったので使わせて欲しいといった形なんです。
●既に名前も浸透しているこの時期に、自身のdoaというバンドを結成しようと思ったのはなぜですか。
徳永:構想自体は何年も前から考えていたんです。CROSBY, STILLS, NASH& YOUNG (CSN&Y)っぽい、音の洪水が全部コーラスで成り立っているみたいな、思い切り格好良いロックがやりたいって。そのためには声の高いシンガーを集めないといけなくて、それで人を探してたんですけど、なかなか良い人がいなくて。
●何年も探してやっと吉本さんと大田さんとで結成されたのですが、どういう風にして出会ったんですか?
徳永:吉本は昔のバンド仲間がたまたま知り合いだったんですけど、オーストラリア育ちの歌が上手いレーサーがいるって紹介されて。僕が「WOODSTOCK」を作っていた時にスタジオに彼が遊びに来て、それで1回歌ってみてよって。英語は上手いだろうと思っていたんですけど、最初の1フレーズを歌った瞬間に「こいつでいこう!」って決めました。実はそのテイクが、そのままインディーズ・アルバムに収録されているんです。ファースト・インプレッションは、J-POPで育ってない発声だなって。音符が4つあったら、J-POPだと4個の発音でタタタタと歌うんですけど、英語だと1個の音の中に2つずつぐらいタンタンタンタンって音があるんですよ。そういうのが最初からできている感じがあって、英語の歌に慣れているのかなって。大田さんはシンガーとしても作曲家としてもキャリアのある人だし、スタジオ・ミュージシャンの中では驚異のハイ・パートのスペシャリストで有名でした(笑)。決定打は、B'zのツアーでただでさえキーの高い稲葉さんの上をハモっていたのを客席で観た時に、「あ、この人に頼もう」って。すぐに頼みに行きましたね。
●バンド名doaはみなさんの頭文字(daiki・ohta・akihito)から取っているんですね。
徳永:そうです。あんまり名前にはこだわりがなかったので、頭文字を集めて1、2分で決めちゃいました。
●メンバーが決まってからはどういう風に進んでいったんですか?
徳永:最初は遊び感覚でCSN&Yのカヴァーをやって、どんどん録っていこうよって。楽器もギターの弾き方とか、こうやったらこういう音が出るんだって研究所みたいな感じで、ミス・トーンとかまでもコピーするぐらいにやっていました。それが溜まったのが『deadstock』。それからオリジナルも少しずつやろうって進んでいったんです。
●『deadstock』は70年代の音楽ばかりですが、徳永さんはオンタイムで聴いていないですよね?
徳永:そうですね、僕は80年代で育ったので。ウッドストックは69年に行われ、他もその辺の曲なのでなんであえて70年代の曲に共感したのかなって考えたんです。その頃ってすごく世界が激動していた年なんですよ。ウッドストックがあってベトナム戦争があって、ケネディ大統領が暗殺されたのもアポロが月に行ったのもこの時代。日本では学生運動が盛んで、万博もあったりと、みんなが平和運動とかをすごく本気でやっていて熱い時代だったんですよ。僕は本でしか感じられないんですけど、すごく今の時代とリンクする思想っていうのを感じて、その辺に興味がいった感じなのかなって。
●この時代は「ラブ&ピース」って言葉が浮かんでくるんですが、徳永さんの中にもそういうのはありますか?
徳永:意識はしていないけど、ニュースとかを見たりして、それは自然に誰の中にでもある事なんじゃないかな。僕らは政治的な意味を音楽に込めようとは思ってないんですけど、みんなが感じているのは世界中一緒だと思うので、その辺が自然に出ていると思います。
●70年代の音楽というのは徳永さんたちには特別な存在だった?
徳永:そうですね。新鮮だったし、音楽的に言えばものすごく可能性が含まれている宝箱みたい。演奏にしてもコーラス・ワークにしても、まだ開けた事がなかった宝箱にこんなネタがあったのかって、すごく発見があって。今もまだ研究中なんですけど。
●インスパイアされて出来上がったのがシングル「火ノ鳥のように」だと思うんです。これも70年代風ですね。
徳永:そうですね。でも、自然にそうなったんです。あんまりシーンのことは気にしないでやっているので(笑)。どう受け取られるかは人それぞれで構わないんですけど、その辺のサウンドを追求して技術的にも音響的にも参考にした部分はあります。
●ギター・サウンドに凄くこだわっていますね。
徳永:特にアコースティック・ギターに関してはマイキングの角度や距離、マイクの種類や使うコンプレッサーは何にするかとかもこだわりました。ギターをミュートして弾くんですけど、例えば(手の平を指しながら)ココとココとココと3箇所あって、どこでミュートするのかで全部音が違うんですよ。曲のどこでココを使うのかとか、そういう奏法を実験しながらこだわってやっていました。でも、インスピレーションが湧いて良いものがあればサッと録るって感じだったから、時間自体はそんなに掛かってないんですけどね。
●『deadstock』はオープン・チューニングでアコギを弾かれてましたが、今作は解放弦が良く響くヴォイシングのリフ探しをしたという事ですが、もうちょっと詳しく教えて下さい。
徳永:今の音楽の制作状況だと、キーを最初に決めて作曲するって事はまずないんですよ。曲を書いて、それを歌うシンガーの一番合うキーに移調させてレコーディングするのが普通なんです。でも今回の2、3曲目は最初にキーをDm(デーマイナー)に決めて、そこから曲を作り始めたんです。ギターをそれしか鳴らないようにチューニングして。昔は当然のように行われていたと思うんですけど、そういう事は最近では珍しいんです。ギターが一番良い音がして、弾き方としても一番格好良いチューニングに出来るんです。左右でギターのメーカーが違っていたりもするので、そういう聴き方でも楽しめますね。
●「火ノ鳥のように」は作詞作曲が徳永さんですが、デビュー曲というのは意識していましたか?
徳永:当然doa用に作ったんですが、デビューとかって意識はあんまりなくて。やっていたグループがCDを出す事になったってぐらい。
●作詞も徳永さんですが、作品としては初めてですよね。
徳永:実際の仕事としてはなかったんですけど、10代のアマチュア・バンド時代には良くやっていたし、作曲をする時にも必ず英語の詞を付けるんですよ。1曲1曲にでたらめな英語を歌って、詞の持っている雰囲気やパワーを入れてあげないと、どうしても自分の中では納得しなくて。だからそういう意味では半分作詞しているのが続いていたので、違和感なくすんなりと。
●日本語で書いても順調でしたか?
徳永:詞に関しては実体験というか、自分が本当に感じた事しか書けないんです。歌詞にもあるんですけど、良い意味で僕もはみだすのだけが夢みたいな。それで都会に出てきたけど、気が付いたらいつの間にか周りに流されて、何となく目標を見失って生きてたりとかして。これでいいのかなって思っているのが嫌で、日常をぶち破りたい、殻を破りたいなって、曲を作った時からそういうイメージだったので、同時進行な形で歌詞はすんなり出来ました。
●火ノ鳥っていう言葉は?
徳永:不死鳥である火ノ鳥のように死なないんだよ、もう一回やれるんだよ、っていうメッセージがイメージとして一番伝わりやすいかなと。
●ヴォーカルの吉本さんに、徳永さんがディレクションしたりする事はありますか?
徳永:あります。詞に関しても「Rock'N Roll Star」は全英語詞で吉本が書いたんですけど、僕が最初に曲を書いた段階で詞のイメージを提示したんですよ。ロックンロール・スターといってもヒーローじゃなくて、例えば小学校とかでもいじめられているような子が、実はロックが好きで家に帰ってくるとフル・ボリュームで箒を持ってテーブルの上に乗っかって歌っているような、そういう詞はどう?って。それいいですねって言って、2、3時間でバーっと楽しみながら書いてました。
●英語でやりたいって考えは最初からあったんですか?
徳永:doaはインターナショナルな事を常に念頭においてやっていきたいんです。共通言語として英語が良いと思うし、吉本も英語詞の方が書きやすそうなんです。
●「手遅れになるぞ気をつけろ」はアコギとハーモニーだけのシンプルなナンバーですが、いきなりこういう挑戦もdoaではありなんですね。
徳永:必要最小限で、アコースティック・ギターの可能性を試したいっていうのと、ストリートで出来る曲も作りたいって思いがあって。3人でアコギを持って行って、いきなり商店街でも歌えるような曲をやりたいなって考えた瞬間にもう出来ていた曲です。
●ストリートでも出来る曲という事は、doaは人前に出てガンガンやっていきたいと。
徳永:当然。多くの人に聴いて貰うのは音楽家としては一番の目的ですから。
●でも、doaのために今までの活動を控えめにする事はないんですよね?
徳永:ないですね。メンバー全員がそうだと思います。doaは良いものが出来たら出していくって感じで。ただ、僕ら作るのが早いので(笑)、お待たせはしないと思います。既にシングルの2作目にも着手していますし、アルバムを目指してやっていますし、ライヴもどんどんやっていきたいですし。
●大学で音楽の基礎を勉強していた訳ですが、作曲をする上で学んでおいて良かったって思う事は多いですか?
徳永:色んな事を知っている方が面白いものが作れるかなって、それぐらいの差しか僕は感じないですけどね。結果的に、音楽は理論じゃないから。
●音楽シーンを意識せずに曲を作っているとさっき言われていましたが、今世間では、「ロックンロール・リバイバル」旋風となっていますが、プロの徳永さん自身の目から見てどう思っていますか?
徳永:doaに関しては気にしていませんが、作曲家やアレンジャーとしては当然常に気にしていて、週に何回とレコード・ショップに行って何十枚もCDを買って聴いて、リスナーが何を求めてるのか、何が欲しいのかを研究しています。最近は70年代っぽい音楽に人気があるみたいですが、70年代の音楽が新鮮に聴こえる背景っていうのは、僕はたぶん思想的な部分だと思うんですよ。どんな人間がやっても思想は音楽にぜったいに入り込んじゃうから。ギターのリフ一発弾くにしても、80年代の思想の人が弾いた音と、ベトナム戦争が行われてみんなが色んな事を考えていた、70年代の人たちのアンプに直に突っ込んで鳴らしている音とは違うから。その思想の違いを理屈じゃなく肌で感じて、それが今にリンクしてミュージシャンやリスナーに求められていて、自然とみんなが気に入ってるんじゃないかなと思います。
●最後に、音楽シーンにdoaはどういう存在で居たいと思っていますか?
徳永:音楽シーンから一番遠い所に居たいかな。10年後聴いても20年後聴いても、「あ、doaだね」っていう。わりと変化しない事の美意識っていうのが好きなんですよ。時代は勝手に行って、付いてくる時は付いてきて、僕たちは僕たちで行きますって感じでやれたらいいな。僕はアレンジやプログラミングでも、他でいくらでも流行りの音楽を気にして作っているので、逆にそうじゃないものをやっているのがdoaなんです。もし、たまたまそれが今の時代に合っているとしたら、それはたまたまそうなったのかなぐらいにしか思ってないですね(笑)。
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