これはかなり手強いぞ。今度のB'zのニュー・アルバムを一聴してまず最初に思った。ひえーっと歓声を上げて拳を振り上げるか、うむ、と……唸って腕組みをするのか、人それぞれ表現の違いはあっても、そのどちらの行動をも許容して喚起するそんな内容のアルバムなのだ。と、書いても何が何やら?の方も大分いるだろうから、これからその補足説明?に入ります。
まずは、このアルバム、皆さんもゆっくりプレイボタンを押してみて下さい。
ちなみに、僕はその瞬間からこのアルバムの最後の音が鳴り止むまで何も手につかなかった。途中でポーズしてとか、何かをしながら聴くという気すら起こらなかった。アルバムを聴く事だけに集中してオーディオの前で固まった。そんな経験は久しぶりの事だった。
単純に“素晴らしい”とかそういう事じゃなくて、売れ線だ、とかポップだ、とかそういう事とも違って、もっと深い心の奥に響く破壊衝動、言うなればずっと昔に初めて自分がロックという音楽に目覚めて運命を変えられた瞬間の衝動のようなものが感じられたのだ。
だから僕は今回、このアルバムをJ-POPという響きの枠組みの中で語るのにはかなり抵抗がある。ポピュラリティはあるけれど、ポップじゃない、ヘビーだ。だからといってダークでもない。それよりも光明を見い出せる、そんなアルバムなのだ。そして、それが出来る音楽こそ、まさにロックであり、それ以外の称号を僕はこのアルバムに与えたくない。と、息込んだ所にメモが届いた。
●以前、アルバム『Brotherhood』の頃は“ロックをやろう、バンド・サウンドを極めよう”と言った気持ちが前提にあったけれど、今作に関しては、4人(松本孝弘、稲葉浩志、徳永暁人、シェーン・ガラース)が集まって自然に始める事が出来たし、そこからのレコーディングの雰囲気が何よりも良かった。
●レコーディング方法も生音重視、4人で一斉に音を出してレコーディングしたテイクが数多く含まれている。
●B'zの2人は1年間ソロ活動中心にやってきて、久し振りに集まって、このメンバーでプレイしてみた所、すんなりと出したい音が出せた。まさにバンドというのは輪廻(転生)=再生していくものだと改めて感じた。そこからアルバム・タイトルは『THE CIRCLE』となった。
むむむ……。そりゃそうだろう、と至極まっとうな言い分ではある。だけれど、それだけですっきり済ませたくないのが、B'zフリークのB'zフリークたる所以。だって、それだけじゃすまされんぞ、今度の音は。
まず、そのサウンドの破壊力! そこにはロックの歴史50年のエッセンスが集約されているではないか。TAKのディストーション・ギター・サウンド、そしてギター・リフ1つとっても70年代の麗しきツェッペリン王国を踏破したブリティッシュの香りを感じさせるものから80年代L.A.メタルを凌駕したディストーション・サウンド、そしてジャパニーズ・メタル全盛時代を彷彿させるギター・リフもの、90年代のJ-ROCKを牽引したTAKサウンドの集大成的エッセンス、21世紀のL.A.ヘビーロックの要素etcノツインリードも早弾きもクリア・トーンももちろんあるけれど、今作は何がなんでもTAKならではの匠の技を極めたディストーション・ギター・サウンドが全編に全開な所が最高だ。
稲葉の歌と歌詞はどうだ? ソロ制作の1年を経て、より思索的な世界観を全うする歌詞世界の深遠さは文学的というよりは今や哲学。ロックの詞が知性である事を彼は今作にして初めてためらう事なく表現し始めた。そして、その歌はよりフリーキーにプリミティヴな本能の声を奏で始めた。だからこそ、今まで以上に迫力と説得力が違う。
2人の1年間のソロ活動の成果が、如実にこのアルバムには反映されている。
2人のパワーと沸々と煮えたぎるマグマのような創作意欲がギュッと凝縮されてこのアルバムを形作ったのだ。
言っちゃあなんだが、今度のB'zのアルバムは幼稚なBGMには成りえない。
何故なら、このアルバムには音楽=ロックに対する切実な愛情がひしめいているからだ。地位も名誉も手に入れたミュージシャン達が、それでも変わることのない真摯なロックへの献身と信仰にも近いソウルで作り上げた純粋芸術。
ロックで運命を変えられた者のみが到達出来る宿命的なアルバムなのだ。
1回聴いただけでカラオケで歌えない、なんて嘆かないで欲しい。違うのだ、このアルバムはこれからずっと君の宝物になっていくのだ。だから、きっちりと対峙して聴いてみて欲しい。あなた自身を見つけ出すために……。(斉田才)
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